御喜美江(2)
2007-08-13


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私はグリークの『叙情小曲集』が大好きです。
これはピアノのために書かれた小品集で、作曲者が長い年月にわたって書き綴った「音楽日記」とも言われていますが、私にはまるで「ブログ」のようです。民族色豊かな踊りやお伽話の世界、風景の描写、様々な感情表現、どれもこれも素晴らしく美しい世界であります。今年2007年はグリーク没100年であり、先日の「オウルンサロ音楽祭」でも様々なグリーク作品が演奏されましたが、今年1月スウェーデンの古い教会で、私もオール・グリークのCD録音を行い、5月にリリースされました。この録音は学生時代からず〜っと抱いてきた夢でありましたので完成したCDを初めて手にした瞬間は感無量でした。なんだか新盤を宣伝するようで恐縮ですが、「アコーディオンとグリーク」を知っていただきたという願いをこめて、今日はそのプログラム・ノートを紹介させていただきます。長文ですがお時間のあるときにでも読んでいただけたら幸せです。
                (2007年8月12日ラントグラーフにて)

          *

旅するアコーディオン
― グリーク『叙情小曲集』との出会い ―

クラシック・アコーディオンのレパートリーというと、古いものか新しいもの、つまり古典か現代作品の2つに限られることが多い。それは一つに、この楽器の歴史がまだ浅く、オリジナル作品が全て20世紀後半から始まるのと、もう一つは「鍵盤楽器」として古い時代の音楽も編曲せず原曲のまま演奏できるからである。

しかしアコーディオンが産声をあげたのは1829年、まさに「ロマン派」の時代だった。それはドイツ・オーストリア地域で考案され、ウィーンで“Accordion”という名前の特許登録がされたのち、様々な楽器職人たちの手で改良され、まもなく商人、船乗り、移民たちの手によって海外へ運ばれていった。その行き先は隣国のスイス、フランス、イタリア、ベルギーのみならずロシア、スカンジナビア諸国、東欧諸国、そして遠くはアメリカ、アルゼンチンにまで及んだ。そして小さなアコーディオンは異国の地に移住すると同時に、新しい文化、気候、慣習を受け入れ、まるでそこで生まれ育った楽器のような自然さをもって、その民族音楽の仲間入りをした。人々は新しく登場したこの楽器を「わが故郷の楽器」として親しみ愛し大切に育てていった。ロシアのバヤン、フランスのミュゼット・アコーディオン、そしてアルゼンチンのバンドネオンといった名前を耳にするとき、私たちが思い浮かべる音楽は、哀愁をおびたロシア民謡であり、華やかなシャンソンであり、情熱に満ちたタンゴであろう。そこに1829年のウィーンの面影はもう微塵もない。そう、生まれた場所ではなく、育った場所が、アコーディオンをそのように変化させていったのだ。

20世紀に入ってからもアコーディオンの改良はさらに続けられ、フリーベース・アコーディオン* の誕生とともに伴奏楽器から独奏楽器へ、民族音楽からジャズへ、クラシックへと、ジャンルも大きく広がっていった。そしてこの頃からアコーディオンのためのオリジナル作品が多く書かれ始め、ヨーロッパ各地の国立音楽大学にはアコーディオン科が設けられ、世界コンテストやフェスティバルなども盛んになってゆく。


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